体内換気の必要性




時々、自分の体内の空気を入れ替える必要があると思っている。

もうそのまんまの意味で、換気をして空気の流れを変える。


日々を漠然と生きてると、同じ場所で同じ人達と過ごすことが多いなあと感じる。


同じ職場、同じ職場の人。

腐れ縁のようにつるんでる友達。

行きつけのお店、顔馴染みの店員や常連さん。

同じ趣味を持つ趣味友達。


考えることも大幅に変わりはしないし、同じようなことをぐるぐると繰り返しているだけ。


そんな風に生きてると、どっかで必ず煮詰まる瞬間があって。

あー煮詰まったなとか、煮詰まりそうだなって気付いた時は、積極的に外に出るようにしている。


普段行かないような場所、やらないようなこと、選ばないようなもの、関わらないような人、何でもいいから“自分の知らない何か”と触れるようにする。


そうすることで自分の無知は改善されるし、何より感性の幅が広がって自分自身の間口が広がると思う。

間口が広がることで自分の体内の空気が入れ替わって、今まで理解出来なかったことや想像もしなかったことを考えられるようになる。


脳みそが凝り固まって、どうせ〇〇だからとか、〇〇であるべきだ、みたいな考えばかりになると自分の言動の幅が狭まるし、他人様から見てもつまんない奴になってしまうしね。


何より間口が広がることで多くのことを知れば知るほど、自分が本当に好きなものも浮かび上がってくる。


Aしか知らなきゃ、Aが好きだと思い込む。

Bを知れば、Bのほうが好きだと気付ける。

Cも知れば、よりBのほうが好きだと気付ける。


本当に好きなものを知れば知るほど、趣味の幅や好奇心の方向性も定まってきて、こうやって日々の時間の無駄を少しずつ改善していける。


わけもわからずただただ、日々の時間を消耗することより無駄なことはないと思っていて。

時は金なりというけれど、無駄にした時間だけは何が何でも絶対に取り戻せないから。


今しか出来ないことも沢山あると思う。

今じゃ到底出来ないことも沢山あると思う。


後々後悔しない為にも、「今」するべきことや出来ることを見誤りたくない。

その取捨選択をするのは他の誰でもない、自分自身なのだから、やっぱり知識は絶対的に必要で、多いに越したことはないなあと。



だからわたしは本や映画が好きなんだけどって話をしたいけど、その話は長くなりそうだからまた今度。


オヤスミナサイ。