モラトリアムって響き好きよ
いま、わたし23歳と9ヶ月なんですけど。
23歳になった瞬間、いつまでもこれまでのようには生きていけないって本能的に悟ったというか、気づかざるを得ないタイミングがあった。
何か取り立てるような出来事があったわけじゃないんだけど、強いていうなら“23歳になった”から。
22歳までのわたしは、世間的に見たら超絶自由に生きてたと思う。
好きな服を着て、好きな髪型や髪色にして、好きなことを学び、好きなことを追いかけ、好きな仕事をしてた。
その過程の中には、好きでこんなことしてるわけじゃないって思ってたこともあるけど、別に誰かに強いられてたわけでもなくて、嫌なら辞めれば良かっただけのことを、あれこれ理由をつけてダラダラ続けてた“自分の選択”だから、結局は好きなように自由に生きてた。
母親は「他人に迷惑かけなければ、自分の好きなように生きていい。その代わり、責任はしっかり果たしなさい。」
父親は「放置はしないけど、放任する。ダメなことはダメ、その基準は法に触れるか触れないか。それ以外は全部自分で選んで自分で決めなさい。」
と言ってくれたことを凄く覚えてる。
なので、ピアスをバキバキに開けまくったり、髪の毛を真っピンクにしたり、2枚MAXスカルプにしたり、コスプレやロリータに走ったこともたったの1回も否定されなかった。
むしろゴテゴテに着飾った状態で親と出掛けるのは、こっちが恥ずかしいとすら思ってた。
しかも見た目が派手になればなるほど仕事の幅は否が応でも狭まってしまうから、あまり堂々と親には言えないような仕事をずっとしてた。(つっても言いつけ通り法に触れることはしない)(その辺いい子)
それでも
「自分で選んだ(風貌)なら、その責任(仕事の幅や制約)は自分で取れ(文句言うな)」
っていうブレないスタンスでいてくれた。
わたしが好きなように自由に生きてこれたのは、両親の言葉と、否定をせず受け入れてくれるスタンスがあったからだと思う。
友達や好きな人なんかに「似合わない、辞めた方がいい、恥ずかしい、一緒に歩きたくない」といった類の言葉を投げかけられても、「ならわたしの人生にはあなたはいらないから、関わるの辞めればいい」って突っぱねて、“自由”を気取ってた。
なので、わたしは高校や大学に殆ど友達がいませんwww当時、彼氏が出来ることもなかったですwwwそら他人様突っぱねてんだから当たり前だけどwww
はてさて。
これって本当に“自由”だったんでしょうか?
ふと冷静になったんですよ、ゴーイングマイウェイ↑↑とか思って生きてきた結果、友達や恋人との関係構築を蔑ろにしてきたことを。
「ありのままの私を見て!見た目で判断しないで!」
とか死んだ魚のような目をしながら大声で叫び続けた22年間。
わたしは気付きました。
「人は見た目が2000%」と。
仕方ないんですよ、そんなもんです。
そらわたしだって、ゴリゴリの怖そうなお兄さんが歩いてたらやっぱりちょっとビビるし。
めっちゃイケメンなお兄さんいたらチャラそうとか勝手に思っちゃうし。
もちろん見た目で判断しないで、仲良くしてくれた友達も少なからずいますよ。
その友達は3人いるんですけど、3人ともとにかく付き合いが長いです。ありがたい。こちらとしても一生大事にしたい縁。
自由と引き換えに、一体何を捨ててきたのかなあ。
とてつもなくデカいなにかを手に出来ずに生きてきた気がする。
やっぱりそれらを“不必要”だった、とは思えなくて。
今からでも少しでも取り戻していきたい。
嫌でも年をとっていくのだしね。
好きなことを選ぶかわりに、何を差し出すのか慎重に考えなくちゃ。
何でもかんでもは手に入らない。
投げ捨てちゃいけないものもある。
後の祭りで後悔しても何も戻らない。
時間もチャンスも全て有限。
23歳のわたしは、わりと慎重。
これまでを選んだのは自分。
これからを選ぶのも自分。
少なからず、わたしの人生におけるモラトリアム期間は終わったんだって思ってる。
寂しいけどね、大人にならなきゃ。
そんなことを最近ずーっと考えてる、よ。